御船祭


 のどかな町の中を運行 見物もいない

念願の穂高神社の御船祭(おふねまつり)を見せてもらいました。穂高は安曇族の神様。安曇族は海の人たちで、何故をもってか山に入った。お祭りに集う人たちは「安曇族は海人」だということを熱っぽく語る。神話の世界から今に至るまで、そのルーツの記憶をこんなに熱く語る人たちも珍しいのでは。船の形状や物語の一場面を飾るのも七尾の「でかやま」と同じだが、ふじづるで胴体を組み上げているのは、とてつもなく原始的な感じがする。やはりこの山車も大八車のような車の上に乗っているため、町の角では曲がるのが大変。しかしながら「やりまわし」のような芸はない。ぶら下がったり、押したり大変。船なのにしっかりした船頭がいない。後ろで「ちりんちりん」と鐘を振りながら「北へ寄ってください、南へ」などと、叫びながら運行している。なんとものどかな運行だが、境内での船のぶつかり合いは、「田舎振り」の弩迫力。本題の神社での神事も立派。幣帛使の幣帛の奉納、幣詞奏上、玉串奉奠などなど。

ぶら下がったり、押したり引いたり

 天地人 お船が兼続に自らの髪を渡す場面

境内に入って小砂利に車が取られて大変

ようやく納まって記念撮影

幣帛使



境内でのぶつかり合い

すべてが終わって、町内へ。鳥居をでるとお囃子が変わる。町内へ入るともう一度、囃子が変わるようだ。

愛の兜とキティちゃん

ご当地キティ」のスタンプ。35歳のキティちゃんが、あの「愛」の兜を律儀にかぶったスタンプ。これでは普通なのだが、大変なことを発見してしまった。キティちゃんにとって、あの「愛」は、敬天愛民でもloveでもないのだった。ふと裏を見ると。なんと「愛宕権現」と書いてあるではないか。キティは知っていたんだ。謙信の「飯縄権現」、景勝の「日天大勝軍」、そして兼続の「愛宕権現」。


弘智法印御伝記その2

新潟の県民会館で、弘智法印御伝記全編を観覧。3時間の長丁場。全段、奇想天外。馬が割れて往生を遂げていない仏が現れるは、烏天狗が飛び交うは、最後にすべて登場し、追放される者、富貴の身になる者、そして弘智法印さまが即身仏となるという物語。
驚いたのは、大ホールのロックコンサートの重低音が怒涛のごとく迫ってきて、建物の歴史を実感。昭和39年の新潟地震の復興記念で建てられたものだから、ホールの音抜けも仕方ないのか(それにしてもカワイイお譲ちゃんがたくさんいて、お花畑のようで大変でした)。それを凌いで、唾がワッと降るような角太夫さんの大熱演と猿八座の熱演には大感動でした。

   カーテンコール

手前が、御伝記を大英博物館で発見した早稲田大学の鳥越先生、隣の外人さんは、物語の復興を勧めたドナルド・キーンさん。故あって、私も招待を受けていたので署名。芳名簿のトップがキーンさんで、見事なカタカナで書いてあった。一人置いて私、隣が鳥越先生。写真撮っておけばよかった。

おまけ 時間待ちの白山神社
11月3日には上越教育大学でも公演の予定。

直江津は煉瓦のまちだった

「富寿し」直江津店の取り壊し現場に立ち寄ると、煉瓦の蔵らしきものが現れた。「富寿し」になる前は、「ルトーモ立日」と書かれた看板があがっていた電機店で、その店の蔵。直江津は防火のための蔵が多いまちだが、ほとんどは土蔵と思っていた。ところが煉瓦の蔵が現れた。以前に、質屋の蔵が取り壊しの前に見ると煉瓦づくりだったので、案外、まだ隠れているかもしれない。直江津は防火のための煉瓦塀のまちかと思っていたら煉瓦蔵も注目だ。

美しい姿だ

アーチも残っている。黒い部分鉄扉の名残か。イギリス積みだ。

西側から見た姿

ストリートパフォーマンス

オレンジのつなぎをきっちり決めて、ポケットには、霧吹き、スクイジー、セームを恰好よく収め。チリとりで駅前を清掃しながら(と、見せかけて)歩いているにいちゃん。ときどき、柱と柱の間に、ガラス吹きを吹きかけて、拭いている。なんど見てもガラスなどありはしない。こっちが、勘違いしているのか。とにかく、カメラを向けたら、人だかり、やっぱり、こっちの妄想ではなかった。


まちの力・老舗の力・まちを守る力

長野自動車道を走行中、事故のため下道に降りて諏訪のまちを湖岸道路ではなく、国道20号をテレテレ走っていると、造り酒屋が向かい合って何軒もある地域があってびっくりしていると、今度は空き店舗ばっかりで、シャッターに御柱の木落としの絵が描かれている通りがありました。そして突然、写真のようなお菓子屋さん、Uターンして入ってみました。

空き店舗対策はいずこも同じですが、御柱の絵は楽しい


同行者が「古いんでしょうね」
店の女将「いえ、そんなに古くないんですよ、80年ですから」

料理記者岸朝子さんご推奨のお菓子を買う。包装紙は棟方志功。島木赤彦の歌や新田次郎の手紙など、さりげなく置かれている。

英語が彫られた珍しいお菓子の型、聞けば、オリンパスが進出した時のお祝いのお菓子を作ったものだということ、さすが精密工学の諏訪だけある。
それにしても、肩ひじ張らずに、さりげなく、まちに生きる責務を果たしている、店と女将という感じでした。

弘知法印御伝記

「弘知法印御伝記」とは、寺泊の西生寺に日本最古の即身仏として(ミイラになっている)祀られている弘智法印の生涯を浄瑠璃で語る一代記(お話では「弘知」だが実在の人は「弘智」)。この浄瑠璃は江戸時代の初めに上演されたようですが、いつの間にか忘れ去られて本も失われていましたが、30年前に、なんと大英博物館でこの浄瑠璃本が、演劇史の大家鳥越文蔵先生によって発見されたものです。
その浄瑠璃を越後猿八座によって300年ぶりに復活されることになったのです。浄瑠璃太夫さんも人形遣いの頭も、以前、文楽座の第一線で活躍していたプロ。
物語は主人公が放蕩の末、人を殺め、発心して高野山に上って高僧になるというもの。その三段目は、主人公ひろ友が五智国分寺の本堂で休んでいると弘法大師が現れ、発心して弘知と名を改めて高野山へと向かうという大切な場面。
縁あって、柏崎での復活初演の成功祈願として、三段目が五智国分寺本堂そのものを舞台にして奉納上演されました。後は写真で。

成功祈願の法要 五智如来の前で天台声明

    人形様が回廊で待機

  最後の最後まで、入念な準備

    内陣を使っての舞台

    越後角太夫さん熱演

いよいよ弘知法印が旅立つ。この後は境内が舞台。
五智国分寺以外では絶対に見られない舞台。二百人近い観客(無料ですよ)は、この特権と熱演に感動でした。